「伝統と革新の調和」を脈々と。

 ウッドワークの前身、明治30年創業の『下甚商店』は、材木屋でありながら、
工房を持ち、自分たちで「もの」を作って納める珍しい材木屋でした。そんな下甚商店について、
昭和30年に林材新聞より発行された『東京材木風土記』には、当時の頭首・篠崎覚太郎への取材から、
次のように紹介されています。 ※ 以下本文より抜粋・編集

「デパートと芝居がお客 下町の雰囲気にとけ込む」

 浅草待乳山下(まつちやました)の松幾の得意が芝居の小道具の藤浪なら、下谷竹町の老舗下甚の得意は、大道具の十六代目長谷川勘兵衛である。長谷川は歌舞伎座、三越劇場、すみだ劇場などの大道具方であるから、吉右衛門や菊五郎劇団の大名代から、浅草松屋六階のすみだ劇場に立てこもるかたばみ座の鶴之助、竹若以下の面々まで毎月下甚の材を踏む。(中略)大した自慢にはなりませんよ、と下甚の当主篠崎覚太郎氏はいうが、大道具方の用材でもつとも金の張るのは舞台である。檜舞台といわれるぐらいで、舞台用の檜板は劇場の看板ものであるから精選されたものが用いられ、ここに大道具用材業者の誇りも盛り込めるというものである。下甚にはもう一軒大得意がある。それはデパートの松坂屋である。大道具とデパートとは新旧両様の極端、まるで違つている取りあわせだが、とんち教室流にいえばなんでも並べるところが似ていますといつたところか。松坂屋は営繕は勿論、店内
 
やウインドウの飾り付材も一手に下甚が入れているが、松坂屋の美術担当は近頃売出しの宮永武彦画伯であるから、下甚の材も益々近代的にデザインされようというものだ。
この下甚は、下谷竹町百十五番地、店前にたてば、家並みや国鉄の高架線をへだて松坂屋の建物が見える場所、(中略)先代甚太郎氏が下総屋を名乗つてここに材木店を開いたのは明治三十年のことといわれるから、もう足かけ六十年に近い店である。このあたりは、もともとが佐竹侯の屋敷あとだから竹町といわれる。以前は材木屋の多いところで、浅草境に流れていた三味線堀を中心として何軒かの店があつたが、いずれもつぶれ、いまはめぼしい店といえばこの下甚一軒になつてしまつた。(中略)竹町の材木屋に今下甚がそののれんの古さを誇つて一軒残り得たるのは、古さと新しさの上手な調和、つまり老舗下甚のよさの上に積極的な新時代への適合性をとり入れたところにあるのであろう。
 創業時から古さと新しさの調和に、独自のスタイルを貫いていた材木屋『下甚商店』。
これこそが現在のウッドワークの土台であり、その存在があってこそ、今の私たちがあります。
創業より1世紀を経て、私たちは、下甚商店が遺した材木屋としての矜持、精神、そして工房を確かに受け継ぎ、
ウッドワークとして、現代のお客様にとって本当に必要なものは何か、そして私たち自身が何を為すべきなのかを
自らに問いかけながら、今後も皆様に喜んでいただける家具作りに精進を重ね、
その成果を次の世代へと紡いでいきます。